okada mariko

 

私にとって、作品をつくればつくるほど、自己と向き合い、他と向き合う。

自己と世界との関わりについて、つくる事で思考していく。

 

 

 

私の作品には、キャンバスに「 刺繍 」をほどこしたものが中心だ。

“ 縫う ” という行為。なにかを繋げようとするような。

 

 

 

自分と他、自分と、自分。

 

 

 

私という存在も、他との繋がりの中で出来ていて、それはまた過去から未来へと繋がる。

 

記憶を積み重ねる。

あらゆる想い、感情のチクセキ。キロクの物質化。

 

 

それは色と形に置き換えられ、確かな事での痕跡では表されていない。

 

しかし、どれも生と共にあり、呼吸に合わせて重ねられたもの。

自分の指から離れ、定着し、隙間を埋めていく。 

” 想い ” をとどめる。

 

 

 

キャンバスに針を刺す行為は、一見すると攻撃的にも感じられるが、

筆で描いたもの、画面を“ なでる ” よりも、自分の行為が認識しやすくなる。

針を指すときに、生地は手の重みで沈み、かすかに“ 音 ” もでる。

それはまるで、行為に対してリアクションをかえすように。

“ つくっている ” と実感する。

 

 

 

 

 

キャンバスに表れる造形は、無意識の世界とは、どこにあるのか。

個人なのか、コミュニティーなのか。

 

 

私は絶えず、自分の作品やアートに対し、疑念の矢を放つ。

 

 

 

 

 

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